「 訪朝前に拉致被害者家族と会わなかった政府首脳の罪 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年10月12日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 464回
外務省アジア大洋州局長の田中均氏は、なぜだと考えているに違いない。だれもできなかった日朝首脳会談に漕ぎつけ、あの金正日氏から拉致を認める言葉のみならず、謝罪まで引き出したのだから、たいへんな功績を築いたはずと考えていたに違いない。
にもかかわらず、その後の日本の世論の展開は、外務省と政府の非を責める声のほうが圧倒的に強い。田中局長は9月26日、参院決算委員会に出席し、北朝鮮側が「死亡と伝えてきた8人に関する情報などを説明するとの姿勢」であると報告し、一連の質疑に答えたあと、涙を流す場面が見られた。
問いたいのは、氏の涙はだれのための涙かということだ。
「田中はよくやった。パーフェクトだ」
と評価した福田康夫官房長官も、同じような思いではないだろうか。福田氏は、訪朝前にどうしても首相に会わせてほしいと家族らが切望したのに対し、
「心静かな状態で首脳会談を行なうために、家族とは会わないほうがよい」と言って、会わせなかったそうだ。
家族側が、ではせめて安倍晋三副長官に会わせてほしいと言うと、「副長官は北朝鮮に行くのだから、会わないほうがよい」と言って、これまた会わせようとしなかった。
家族と会うことがそれほど首相や副長官の心を乱すものなのか。家族らの願い、拉致問題の解決のためにこそ訪朝する決意の首相であれば、家族に会ってから出発することこそ、正しいやり方ではないのか。
家族の皆さんは悩みに悩み、出発日の早朝、首相公邸の門前で待ち構えることまで考えた。しかし、皆で話し合い、そこまでの実力行使は見合わせた。
「死亡」とされている増元るみ子さんの弟の照明さんは、家族として胃や腸が引きちぎられるほどの思いで耐えたという。照明さんが語った。
「首相訪朝前に、首相に代わって福田長官が、われわれ家族に会いました。私はその席で、失礼だと思いましたけれど、福田長官に向かって言ったのです。私はあなたを信ずることができないと。これまでの対応のなかからは、政府の、というより福田氏や福田氏の後ろにいる外務省の誠意などは、まったく感じ取ることができなかったからです。私は福田長官の目をまっすぐに見て、あなたのことは信用できないとはっきり言った。長官はじっと冷たい目で私を見ていただけでしたけれど」
政治家ならば、国民のこの烈しい批判をどう受け止めるべきか。烈しく責められたことより、なぜ、この人物がこうまで烈しく詰め寄るのかを考えるべきだろう。しかし、福田氏はおそらくそのようなことは考えていなかったのだろう。言いたいだけ言わせておけばよいと思ったのか。
だからこそ、北朝鮮側から一片の紙を渡されて、そのままそれを家族に伝えようとしたのだ。心ある人間なら、一人ひとりの状況について、外務省の担当者から尋ねた後にすべきなのだ。
増元照明さんが語った。
「紙を一枚手に持って、あなたのお姉さんは、お気の毒に……と紋切り型に言われて、納得できるでしょうか。福田さんは自らわれわれ家族への情報を伝える役割を買って出たそうですが、官房長官が伝えれば、われわれ家族が納得すると考えたのでしょうか」
福田氏や田中局長に欠けているのは人間としての基本的な思いやりである。家族の気持ちになって感じることができないのだ。その点では、小泉首相も同様である。家族の気持ちに近づこうと努力した形跡もない。訪朝前に首相が家族に会ったのは3月に一度きり、安倍副長官の骨折りでようやく機会がつくられた。だが、そのときもわずか10分の時間を割いたのみだ。政治家がもっともっと国民に近づかなければ、高い支持率も早晩色あせてくる。